Finding an entrance

馴染みのないテーマについて知りたいとき、まずは入口を探す。

特攻について、というよりそもそも太平洋戦争について、知りたいし知らなければ、と思うことが続いて、少しずつ勉強しはじめている。

意識しだすと機会って見つかるものだなとびっくりしたのだが、ちょうど最近通い始めた新宿の平和祈念展示資料館で、特攻出撃寸前に敗戦の日を迎えた方のお話を聞く機会があった。

上野辰熊(たつくま)さん、90歳。

当時16,7歳だった上野さんは、主に現在のソウルで陸軍の飛行兵として訓練を受けた。その後、飛行兵不足で鹿児島の万世(ばんせい)飛行場に呼ばれて待機していた。出撃命令も出て、いよいよだと思っていたところへ、1日ほど待たされて8月15日に天皇の玉音放送を聞いたという。

特攻には海軍と陸軍があったことも、もちろん戦闘機の種類や飛行法についても知らなかったが、直接お話を聞いて、自分の中で当時の状況がかなりリアルになって、いわば解像度が格段に上がった。行って本当によかったと思った。

日付や人数などまで詳細に話してくださった上野さんの記憶力にもびっくりした。

一つ残念だったのは、質疑応答みたいな時間がなかったこと。終始とても淡々と話されていたけれど、当時どれくらい恐怖を感じたり、疑問を感じたりしたのだろうか。また戦後、「なんで死んでこなかったんだ」といじめられたとき、どう思ったのだろうか。

Thank You for Being Late

NYタイムズのコラムニスト、トーマス・L. フリードマン氏の本 Thank You for Being Late (2017) (日本語版「遅れて来てくれて、ありがとう」)がものすごく勉強になった。

魅力的な語り口と、中東をはじめ世界各地での駐在・取材経験に基づく豊富な例で、この分厚さでもほとんど飽きることなく一気に読むことができた。

ノートに読書メモが溜まっていたのでまず概要を整理すると、、


現在世界が加速度的に変わっていて、私たちはどうすればいいかわからなくなっている。

そこで、世界の変化を3つの要素(the three M’s)にほぐしてみる。

1) Moore’s Law(ムーアの法則)

テクノロジーの飛躍的な変化をおさらい。

*コンピュータに5つの構成要素があるのか(普通知ってるもの?)、2007年に色々始まっていたのか、iPhoneってそういうことだったのか、など、この章だけでも目から鱗が落ちまくり。

2) Mother Nature(気候変動)

気候変動を社会学的な視点で見る。

現状:生物が誕生して38億年もの間、奇跡的にその生存に適した状態が保たれてきた。それがいま壊されつつある。Anthropocene という言葉の登場にも表れているように、人間は自然の中の小さな存在ではなく、自然に大きな影響を及ぼす存在になってしまった。自分たちの首を自分たちで絞めているのだ。

*シリア内戦や移民問題と、気候変動との意外なつながりを知った。

また、気候変動がもたらす貧困や混乱は教育、女性の権利、人口増と切り離して考えることはできないことも。例えばアフリカでは今後も爆発的な人口増加が予想されていて、たった30年後の2050年には全世界の人口が20億人!増えると考えられている(しかも度々上方修正されている)のだそう。

この人たちがムーアの法則の恩恵を受けられず、貧困の状態であれば、そこから抜け出すために国外へ移動するのは自然な選択だ。だから地球温暖化も貧困も決して現地だけの問題ではない。

3)  The Market(グローバル化)

インターネットの普及によってどんな変化があったのかを今一度振り返ってみる。

*特に印象的だったのは、各国の民主化運動の当事者にも話を聞きながら、ソーシャルメディアは「つなげる」ことはできても何かをゼロから共同で作り出すことには向いていない(現状では)、という話が出たこと。

どうすればいいのか?

上記の3つの相互作用で、世界はどんどん変わり、その変わるスピードもどんどん速くなっている。この age of accelerations においては、止まっているわけにはいかない(cf. トランプ大統領やBrexit)。それがもたらす負の結果を私たちは負いきれない。社会も個人も、動的平衡を目指す必要がある。

そのためには、社会は Mother Nature(自然)に学ぶ必要がある。その多様性、多層性、主体性を育むシステムに学ぶ。具体的には、雇用、行政、教育、の3つを根本的に考え直さなければいけない。

それを可能にするのは何かと考えたとき、自らが育ったミネソタ州セントルイスパークに行き着いた。隣接の地域と違い、そこは行政と住民の間に信頼関係があり、住民間にも宗教や人種の違いよりも人間同士の対話を大事にする態度があった。もちろん、完璧だったわけではないが。

そして、今でもその建設的で居心地の良い風土は残っている。つまり、人と人とのつながりとしっかりとしたコミュニティこそが大事なのだ。

全米を見渡すと、他にも、廃れた地域とされる場所の只中にも、自ら変革を起こしているコミュニティが多数あった。だから悲観的になろうと思えばいくらでもなれるこの時代にも、私は希望を持っている。


やっぱりコミュニティかと言ってしまえば簡単だけど、この著者がこの文脈でやっぱりそういう結論になったことに意味がある気がする。しかも、理想論ではなくて経験から導き出した結論と未来への希望なのだ。

この本の副題は

An Optimist’s Guide to Thriving in the Age of Accelerations

私も、optimist になった!

もっと細かく言えば、AIをIAに、stockからflowへ、これから増える仕事、pluralismとpluralisticの違い、人が欲するもう一つのビタミンC、などなど気付きもとても多かった。中でも human capital (一人一人の才能と可能性、と理解)についてはこれまで考えたことがなかった視点を提供してくれて、世界が変わったと言ってもいい。

とにかく、THANK YOU for writing this! な本。

Dan Flavin’s tubes aren’t going to last forever

I fell in love with Dan Flavin‘’s work back in 2013, during my first stay in London. The Tate Modern had a room dedicated to him at the time.

初めてロンドンに滞在した2013年にダン・フレイヴィンの作品を知り、一目で惹かれた。当時はテート・モダンにフレイヴィン作品を集めた部屋があった。

How could something make you feel so serene, meditative, peaceful–something that’s made of fluorescent tubes? Is there something about light that makes things look ethereal? I even remember sketching the works to see if there were any patterns. But they were all just a few types of ordinary fluorescent tubes put together. But they were beautiful.

蛍光灯がこんなに静謐な空間を作ってしまうのはどういうことなのか。光にはそういう力があるのかなと思ったり(安藤忠雄の光の教会のように)。とにかく不思議と居心地の良い空間だった。

Espace Louis Vuitton Tokyo, 2017
“Monument” for V. Tatlin (1964-65) at Espace Louis Vuitton Tokyo, 2017
Espace Louis Vuitton Tokyo, 2017
Espace Louis Vuitton Tokyo, 2017

Fast forward to 2017 and Espace Louis Vuitton Tokyo did a Dan Flavin show. And I had a question. What happens when the tubes expire someday?

2017年、エスパス ルイ・ヴィトン東京のダン・フレイヴィン展で、この蛍光灯が切れたらどうなるのか聞いてみた。

I asked a staff member there, who told me that in fact, yes, they will expire someday in the future. According to what he’d heard, people who purchased the work received a couple of spare tubes, which I guess was part of the idea because they were mundane objects at the time. Now, ironically, those tubes are becoming harder to find. So a body of work that most likely raised questions about mass production is now something akin to a candle. It is literally burning away its finite resources, as long as it is being exhibited.

スタッフによれば、蛍光灯が切れたときのために、購入者には予備が数本渡されたのだそう。けれど今、当時はどこにでもあった同型の蛍光灯が次第にどこにもなくなってしまった。大量生産品を使ったという点でも面白かったはずの作品が、今はろうそくのように有限の命を燃やしながら展示されているのだ。

And so the works now possess a unique quality of being static, yet finite. Unlike traditional paintings and sculptures. I found this to be an interesting example of how context changes the meaning of things.

Flavin probably didn’t plan this…or did he?

静的だけれど有限という、絵画とも一般的な彫刻とも違う性質を持つことになった作品。時代や文脈によって物の意味って変わるんだということを目の当たりにした気がした。

フレイヴィン自身も予想してなかったのではないだろうか。それともそうやって「デザイン」された作品だったのかな、、?