A is the cause of B is the cause of A

論理がいつ頃発生したか、というお話を能楽師の安田登さんから伺った。

安田先生によると、紀元前1000年頃の古代中国で、論理を記した文の最初の例が見られるとのこと。

なんと、古(こ)という時間を表す形容詞を使って因果関係を表していて(イメージとしては「A古B」?)、これが故(こ)に変わった(「A故B(AゆえにB)」)というようなことらしい。時刻や時間を表す言葉はその前からあったようだが、それを因果関係の記述に展開したというのは相当画期的だったのではないかと思う。

レイコフとジョンソンの名著 Metaphors We Live By(メタファーと人生)でも「因果関係は人が周りの物理的、あるいは文化的な現実を整理するために最もよく使われる概念の一つ」とあるように、因果関係は私たちにとってなくてはならないもの、認識の根底にあるものといってもいい。

感動したので、どういうことか自分なりに考えてみた。

「A故にB」という因果関係を時間の形容詞で表現したということは、時間の前後関係と物事の因果関係を重ねることを発見したということなのではないか。

結果が原因より先に来ることはないから、ぴったりはまる(ように見える)のだ。

しかし最近思うのは、原因と結果を複雑な世界から切り取ることの難しさ、そして「時間の方向=因果の方向」の考え方だけでは捉えきれないものがあるということ。

つまり、時間は戻ることはないけど、因果関係は行き来することがある。AがBを引き起こし、それがさらにAを強化するケースはいくらでもある。それが見えていなくて対症療法を繰り返してしまうことも多い。システム思考でいういわゆるフィードバック型システムのように。

だとすると、現代の世界の問題の根本にある、一方向的/リニアな世界観を変える鍵の一つがここにある気がする。

László Moholy-Nagy LX
みんな2周くらいまわって意外なところでつながっている、かもしれない / László Moholy-Nagy LX (1936) ラースロー・モホイ=ナジ『LX』1936年 / Kawamura Memorial DIC Museum of Art. DIC川村記念美術館蔵